先達の寄稿


・御浄霊はお願いするもの

 神山荘の洋間で映画鑑賞会があり、私もご同席の栄を賜り、それがちょうど明主様と二代様の真後ろに座る事になりました。その晩は十二~十三人いらしたと思います。
後から伺っていて、二代様が歯痛でお悩みのご様子でした。
それに対して明主様は、『お願いしないと淨霊はしないよ』とおっしゃいました。
二代様がお願されると、明主様はサッと手を(かざ)され、一分ほど浄霊をなされたかと思います。
その後、二代様はお辞儀をされ、「ありがとうございました」と御礼の言葉を述べておられました。


・真の御浄霊

 その前に一つ記し忘れた御神業上重要な母の体験を伝えておきたいと思う。
 遡ること昭和十五年七月、母が一週間の入信教修を受け自宅に戻り、その夜から周囲の者に浄霊を取り次ぐや、病治癒に驚くべき多くの結果を見せられた。
 その数力月後の明主様への報告日、母はある成果を感動に震えながら奉告した。
すると明主様は一言『まだ治っていない』と言い放たれた。
お言葉の真意が覚れなかった母は、再度事情を説明し「病は治りました」と訴えたが、返ってきたお言葉は『いいや、治っていない』であった。気丈な母は簡単には納得せず、明主様との押し問答を繰り広げた。
 その末明主様は呆れ顔で母に問いかけた。
『じゃあ、平本さん。その人はあなたに何かお礼をしたか?』。すると母は「いいえ」と答えた。
 明主様は『だから、治っていないんだ。この治療(淨霊)で病が治るということは、霊体の曇りが取れ魂が光り輝き、それは本守護がちゃんと働く事である。その本守護神の正しい働きがあれば、誰でも感謝せずにはおれないはずで、感謝の心が必ず形として顕れるはずだ。確かに病は治ったかもしれない、しかし、治療で治すのと病院で薬を使って治すのとは目的が違う』と仰せになった。
母はその時、二の句が継げず、淨霊がただの病気治しに終わらず、魂の覚醒、魂の救いを真の目的としたものであることを覚ったという。

※母「平本直子先生」メシヤ様より萩に(山口県萩市)「光の道教会」設立を命じられ、昭和24年6月15日発足、教会長を拝命する。
平本伸一氏の寄稿


・脳裏に焼き付いて忘れられない御言葉

 ご面会でのお話の中で、今でも脳裏に焼き付いて忘れられない御言葉がいくつかあります。
『浄霊は悪を善に変える力だ。之によって人類が益々幸福になって行く。この世の中を明るくするのも、この力だ』
『人それぞれに浄霊の強弱はある。その時の想念、誠心である。慢心を起すと本当のお取り次ぎは出来ない。つい“自分が治してる”と言う気持ちになって、私を忘れてしまってないがしろにしてしまう。
人力が入ってはいけない。(想念の事を強調されました)』
 また観音教団時代の事ですが、『私は化けてますからね』と何回も言われていたことがありました。初めは何のことか分かりませんでした。そうして、神であって人の姿に生れて出ているんだという事を覚らせていただきました。
 お弟子の方に一番言われていましたのは、「下座の行」と「謙虚さ」でありました。誠心で御用をしてくれ』とも強調されていました。
『絶えず私と共に在るという気持ちを忘れないように』と、御用させて頂く上での重要な心構えをお教えいただき、それを胸に今日まで元気でご神業に参画させていただいております。



・『よかったねのひとこと』

 昭和20年の9月28日のことでした。
丁度、私どもの教会の会食会(当時は各教会で会食会を開き、明主様をご招待していた)の日で、私は平塚まで材料の買い出しに出掛け、鶏二羽をやっと見つけ、それを持って箱根のお屋敷へうかがったのですが、着くとすぐ、お風呂に入れていただきました。
ところが、風呂から出ると、急に気持がわるくなって倒れてしまいました。
このことを明主様に申し上げた奉仕者がいて、明主様はわざわざご浄霊をして下さったのでしたが、その時私は、「こういうことになるのは、私の罪が深いからでしょうか」とおうかがいいたしますと、明主様は、『いま、あんたは生かされているじゃないか。心配するな』とおっしゃり、更に、『みんな霊的なのだ。すべての病気がそうなのだ。許してもらうために、懸命にやりなさい。御用をね』とやさしくおっしゃってくださいました。

 そして、そのあと、すわり直されて、明主様が朗々と天津祝詞をあげられたのです。
終戦で信仰の自由が認められてから、初めての天津祝詞です。
あまりの意外さにまわりの人がびっくりして、ペタペタとすわってしまいました。
その祝詞が一回終わったとたんに、私の胃の苦しさがスーッと抜けました。
「苦しいのが、どこかへ行ってしまいました」と私が言いますと、
『よかったね。罪が許されたんだよ』と明主様も喜んで下さいました。