御 尊 影



『救世主』  世界救世(メシヤ)教 岡田茂吉教祖

(われ)もしも (うま)れざりせば(ひと)()は やがて(つひ)えなむとふと(おも)ひける
新年御詠 (祭典時御歌)
昭和26年1月1日

(おお)いなる (すくい)御手(みて)(のば)すとも すがるよしなき(めしい)(おお)
救ひの光

あくまでもと (こころ)(くだ)きてこの(われ)に (つか)ふる(ひと)のある()たのもしき
山と水

贖罪主(しょくざいぬし) ()でし(ため)しはありぬれど (まこと)(すく)ひの(ぬし)(われ)なる
御生誕祭 御詠
昭和27年12月23日

如何(いか)なれば ()れは(この)()()れにしと (なが)きうたがひ()きし()(をしへ)
明光社第六回和歌 雑詠
昭和2年6月15日

永遠(とことわ)に (さか)ゆる(みち)(われ)() 教( おし)へより(ほか)なしと(さと)れよ
命の糧


『御光話録』昭和23年9月28日

お伺い:メシヤの言霊についてお伺い申し上げます。

御垂示 :メシヤというのはヘブライ語ですからちょっと日本語には解し難い。
意味は救世主、救い主といふことです。
キリスト教の人は、キリストが救い主だと信じてゐるが、本当は贖罪主(しょくざいしゅ)であって、救世主とは大変違ふのです。
万民の罪を(あがな)った人、罪の代表になり生命をギセイにして初めて許された人ですが、救世主の方は許されるのではなく許す方です。
まあ時期の進むにつれて話しますよ。



昭和二十九年六月五日

メシヤ降誕

管長: お祝い申し上げます。今日の御生誕の儀、御目出度う御座います。
信徒一同、日々の御守護厚く御礼申し上げます。今後とも宜しく御願ひ申し上げます。

メシヤ様御言葉『岡田茂吉教祖』

 ずいぶん若くなってるよ私のほうは……メシヤ降誕と言ってね、メシヤが生まれた訳なんです。
言葉だけでなく事実がそうなんですよ。
私も驚いたんですよ。
生まれ返ると言うんじゃないんですね。
新しく生まれる訳なんです。
ところが、年寄りになって生まれるのは変ですが、いちばんおもしろいのは、皮膚が赤ん坊のように柔らかくなる。
それからこのとおり、髪の毛が生まれたと同じような……床屋がこれを見て、子どもの頭髪だと言うんです。
だんだん白いのがなくなって、黒いのばかりです。
いまに黒髪になりますよ。
だから、神様はおおいに若返れと、そして、仕事をしなきゃならんというわけなんです。

それで、今度のことについては、もう奇蹟っていうどころじゃない、奇蹟以上の奇蹟がたくさんあったんですけども、さしつかえない点だけはだんだん発表します。
それで、このメシヤというのは、世界中で最高の位なんです。
西洋では王の王ということになってますが、キングオブキングスと言ってその位をもってるんです。
だから、私が出てはじめて人類は救われるのです。
たいへんな事件なんです。

それで、いろいろ話がしたいけれども、なにしろまだ生まれたての赤ん坊なんですから、あんまり面倒くさいと嫌で、簡単に、要点だけを話をしたつもりです。
また、この一五日にもっと詳しい話ができると思いますので、きょうはこのへんにして。


『御教え集』32号 昭和29年3月27日 (抜書)

 最近霊界にいろんな変った事が大分出てきたのです。
というのは、霊界が昼間になるについて、霊が慌て出したのです。だんだん救世(メシヤ)教というものがはっきり分って来たので、自分達が救われたい事と、それから働かしてもらいたいという事で、いろいろな方法をもって私に頼むのです。そうして因縁の人の霊に憑って、話をしたりいろいろするのです。それで最近信者さんの中の若い女性にいろんな霊が憑って、知らしたわけです。この間は現界で活躍している人達、モロトフとかアイゼンハウアーとか毛沢東とかネールとか、いろいろありますが、そういう霊が憑って、私に罪を御詫びしたり、今後のお手伝い、それに対する念願とか、そういう事があったので、現界の人達の分は今度の地上天国に全部載せましたから、読めば分ります。実に詳しく書いてあります。その後にあった事は、非常に面白いし、しかも重要な事ですから、今それを読ませます。

 (御報告 地上天国誌 五十八号)
時局と霊界 明主
 この投書に就いでは、今は批評をかく事は面白くないから時を待つとして、
兎に角興味的にみても捨て難いものがあるので、ここに載せたのである。

明主様に御救いを願う雲界よりの通信
  応神中教会々長 牧 暉之助

二月十五日夜十一時
 マレンコフの霊
明主「マレンコフの霊、しげるの体にかかれ。かかったか。この間から〇〇にかかって随分主神の仕事を邪魔したのう。〇〇〇〇(みこと)はあのように不埒な奴と違うわ。〇〇〇〇(みこと)のふりをして、よく主神の頭をふんだの。日輪が出たら、隠されぬぞ。廊下を御奉仕者が大きい音を立てて歩いたのでそちを見破ったぞ。信子が寝ている時は大物を油断させて引寄せるためじゃ。今日は桃太郎も寝たので、一寸油断をしてよく見破られたな。よく今まで隠れてていたな。主神の頭をふめぱ、苦しいだろう。主神は生きとし生けるものの命を握っている。誰の命も、わしの物じゃ。生かすも、死なすも、自由自在。主神の頭をふんで、地獄に落ちたいか。スターリンと同じ根底の国に落ちたいか。
スターリンは根底に〇〇年捨て置かれて苦しむのだ。そちも、その手になりたいか。いやじゃろう。悔改めたら、大きい罪もゆるす。小さい罪でも悔い改めねば許さぬ。真心で悔い改めたら許す。根底の国で暗い所で氷詰めになってもよいか。天国へ行きたいか。悪に強いものは、悔改めたら、善にも強いぞ。主神に悔改めねば、日輪の車輪で焼く。悔改めたら、使ってやるぞ。そちを焼いたらソ連の民を全部焼きつくす。民を焼かれてもよいか。罪なきものを焼き苦しめたいか。ここで火の車にかけようか、改心して罪亡しをしてやろうか。皆主神の子供じゃ。一寸した心掛けで、よい子になれるのじゃ。わしの御心のままに、動けるか。わLに、自由自在に仕えてくれるか。やはり、善と悪とによって、世の中の汚濁を浄めるのじゃ。世界の汚濁を掃除するには、戦争も必要じゃ。わしに使われてくれるか。許すから、つくしてくれ。辛くとも、悪に敵対してくれるか。それはつらいが、つくしてくれるか。邪魔するでないぞ。御心のまま、、使われるのじゃぞ。わしの頭をふまずに、仕えよ。わかったら、言葉で言え」
マレンコフ「有難きお言葉頂戴致し改心させて頂きます」
「今までの罪ゆるす。御心のままに、使われてくれよ。そしたら、真心あるソ連の民は救われる。そち働けば、暖かい楽しい国になるぞ。そちは、何時までも日輪を苦しめてどうする。そちの手で、ソ連の民救ってくれよ。わかったら、早速帰って実行してくれ。そしたら、氷が解けて、暖かい国になる。そちのめでたい日じゃな」(後略)
審神者 日下部 信子
憑依者 美馬 しげる

 この中にある『明主』というのは、つまり私の代理なのです。
それで私の代理になって仕事をする私の部下の神様が幾人か居るのです。それで何かの重要な事に私として出るのです。ですから私と思って差支えないわけです。それから天理教の教祖の事は、何時か話をした事がありますが、静岡県の留置所に居る時にいろんな霊を呼んでいろいろ話をした時に天理教の教祖とも話をしたのです。それで救ってくれ、宜しいと言ったその事を言っているのです。

 こういうような工合です。ですから私に居る神様は一番最高なのです。
ですから私は神様を拝んだことはないと前にも言った事がありますが、私より上の神様は無いのだから、別に拝む神様は無いわけです。
それで私は拝まないわけです。けれども、こういう事が時節によってはっきり出て来るので、私は自分で“オレは救世主だ”とか、そういう事は言いたくないのです。つまり事実で見せる、事実によって“なるほど”力と結果において“そうだ”という事を分って、それが本当なのです。

 それについて御祭の前の日の二十二日に、私の直接の仕事をしている男の若い妻君で、去年頭が少し変だったので、私がすっかり治してやったのです。
しかしまだ少し残りがあって、頸の廻りに固まりがあるので、時々来いと言って、月に二、三回ぐらいやっているのです。そこで二十二日の日に浄霊しようとすると、ボロボロ涙をこぼして泣き出して、後から後から涙が出て、なかなか口がきけないのです。暫くたってから普通になったから聞いてみると、キリストなのです。それでキリストが長い間非常に苦しんでいたのが、その婦人に憑っていて浄霊してもらったので治ったのです。つまり(はりつけ)になった時の傷の悩みなのです。それがすっかり治ったので有難いと言って、つまり嬉し涙です。更に、自分の最も懐かしい天の父様に御目にかかれたという事は、これほど嬉しい事はないという、この二つの事の嬉し涙で、それが出たわけです。そうしてみると、あれほどの人でも、そういった一つの肉体の障害を治されなかったわけです。そういうわけですから、これから外国においてキリストも大活躍されると思います。これは信者の人はよく分るが、キリスト教信者とか仏教信者が聞いたら、狐につままれたように思うだろうと思います。自分の拝んでいた目標がそんなようなわけかと思うだろうと思います。しかしこれは直ぐ分るわけです。何故と言えば、今までのキリスト、釈迦、マホメット等は、こうやって(手を翳して)病気を治す事ができなかったのですし、しかもこうやって病気を治す人を作れなかったのですから、そこにおいて、力において想像できるわけです。
それで私は自分自身ああこうと、ドエライ事は言いたくないですから言わないのですが、だんだん時節に応じてそういう事が証拠立てられ、分らないわけにはゆかなくなって来るのです。


私 物 語     光 へ の 道
 序文    はしがき
 私の神秘    入信以前の私
 私は神か人か    入信の動機
 無信仰時代    入信の動機
 無信仰時代    入信以後
 私と映画    大森時代
 一つの神秘  『栄光』83号  麹町時代
 私の名称に就て  『栄光』121号  大本教脱退の理由
 私は威張る  『栄光』127号  玉川時代
 私は真理を書く  『地上天国』28号  豚箱入り
 私とサタンの闘争史  『未発表』  三度目のブタ箱入り
 私という者  『地上天国』47号  運命の転換
 私の文章とその他  『栄光』238号  宗教となる迄
 私は宗教科学者だ  『栄光』255号  或婦人の話
 私が神様を拝まぬ理由  『地上天国』43号  天理教
 私の観た私  『地上天国』6号  死人に鞭つ
 神様と私との関係  『地上天国』57号  霊的肺患  
 私の光  『地上天国』36号  間違ひ信仰
 私の考え方  『栄光』162号  龍神の憑依
 東方の光  『栄光』182号  癲癇
 私の抱負  『栄光』94号  精神病
 御歌  『御歌』編集  死線を超えた話
 救世主は誰だ  「未発表」    
 救世主  『栄光』260号    
 救世の警鐘  『栄光』165号    
 一厘と言うのは、  『御垂示録』5号    
 神に愛される  『地上天国』4号    

昭和29年「メシヤ降誕仮祝典」学びの要点