『御光話録』17号

・地獄の釜

お伺い:霊が地獄に落ちた場合、地獄の釜に入れられ、蓋をされたままで何千年の間出られないと申しますがいかがでしょうか。
御垂示:これは形容ですよ、本当の釜の中に入れられる訳じゃありませんよ。
お盆には地獄の釜の蓋が開くなんて言いますがね。
これはなんでしょうね、地獄の中でもごく酷い所のことを指すんでつまり密閉されてるような格好になるんでしょう。
釜ってのも、蓋をされてるようなっていう形容でしょうね。だから、字に捉われないで、ただ地獄の事だと思えばいいんですよ。




『明日の医術』第三篇

霊界の構成

・饌供の食物
御教え:茲で、右饌供の食物に就て知らねばならない事がある。
それは霊と雖も食物を食わなければ腹が減るのである。そうして霊の食物とは、総ての食物の霊気を食するというよりは吸うのである。然し現世の人間と異い極めて少量で満腹するので、霊一人一日分の食料は飯粒三つで足りるのである。
従而、饌供された食物は多勢の祖霊が食しても猶余りある位であるから、その余分を配り役が運んで、饑じい霊達に施与をするのであるから、その徳によって、其家の祖霊の向上が速くなる事である。故に、祖霊へ対し、出来るだけ、食物など供える事は非常に良いのである。

 従而、祖霊へ対し供養を怠る時は、祖霊は飢餓に迫られ、やむを得ず盗み食いをするようになるので、其結果として八衢から餓鬼道へ堕ちるか、又は犬猫の如き獣類に憑依して食欲を満たそうとする……それが畜生道へ堕ちる訳である。然るに、人霊が畜生へ憑依する時は、漸次人霊の方が溶け込み、遂に獣霊と同化して了うのである。此人獣同化霊が再生した場合、獣となって生れるのである。然し乍ら、これは真の獣霊と異るのは勿論で、馬犬猫狐狸等の動物の中に人語を解するのがよくあるが、これ等は右の如き同化霊である為である。



『地上天国』第六十二号(昭和二十九年九月十五日)発行

おかげばなし
先祖の霊は生きて居る
大分県 如意輪中教会 TI

 明主様、日々数々の偉大なる御守守護頂いて居ります事に尽きましては、拙き筆もて何として御礼の申し様も御座いませんが、最近頂きました母の御浄化に、霊的事象とも言うべき、不思議さを見せつけられました。その御守護の御礼を御報告申し上げさして頂きます。

 過月T浦支部長先生に、御教え御取次を御願い致しまして、私は先生を大分駅に御見送り申し上げて居る不在中の出来事でした。御先祖様に御膳を差し上ぐべく準備を致して居りました妻は、理容館の方へお客が見えたので、息子一人では手が廻らず、急遽妻も店に出るべく、母にお膳立てを依頼して置きましたが、母は、「ハイ」と返事はしたものの、二歳になる末娘を抱いて寝そべって居ました。
処がどうでしょう。

 十幾年前に病みし咽喉風邪を、これ迄何回かは痛みを繰返す御浄化は頂いて居りましたが、この時ほど、酷い激痛は未だかつてなかったという。左耳下腺より顎下腺、甲状腺にかけてブクブクと腫上り、ビクビク脈打つ形は物凄く、猛烈な痛みを訴え、かてて加えて、心臓の動悸は激しく「どうした事だろう」と寝て居た母は吃驚跳ね起きたそうです。

 痛みは中々止みそうもなく、激しさは彌が上にも増して来る許りなので、自分で御浄霊もさして頂きましたが、あせる為にか急にはその効も見えず、やれ御霊紙をと、色々考えてみましたが「ああそうだ、さっき御先祖様に御膳の御供えをさして頂く様頼まれて居たのに、未だ差し上げてない為、御先祖様のせかれた形たんだ」と気附かせて頂き、明主様を御念じ申し上げて、周章狼狽御膳の組立てに急ぎ、えさして頂き、自分の到らなかった御詫びを深く深く申し上げ、前非を覚らして頂きました。御祈りを済ましてやおら頭を持ち上げし時は何の痛みも全然なくなり、平然たるものだったそうです。「病気とはこんなものだ」怠慢により御先祖様にせかれた形が病気だ、御屏風観音様に御先祖様の御救いを御願いし、安心して頂ける様にさして頂く事が、我が病気の形、その痛みも安々と癒して頂けるこの事実を、判然と分らして頂き、御指導の程を手近に、身を以て覚らして頂きました事を、恐縮致して居ります。

 私にもこれに良く似た事例がございもした。
 十四、三年前に鼓膜の奥に水が溜まり、早速県立病院で診て頂いた結果、注射器を鼓膜に突差し″ズーズー″と音を立て乍ら、奥深くさし込み、それにて吸い取り、両方の耳より約十瓦とかの水を吸出して頂き、こんな事は良く癖になるものだと言われましたが、その後何という事もありませんでしたが、母のこうした御浄化を頂きし後に、私にも耳の再発とも言うべき、又鼓膜の奥に水が溜まり人の話は何等変りなく聞けますが、自分の言わんとする声は丁度抗道内で話をするが如く耳に反響し、頭に逆上して来て長らくの対談は出来ず、事務的な仕事でもさして頂くと特にその疲労は酷く、さりとて仰向けに休ませて頂くと、その鼓膜の水は何処へやら流れ去り耳孔に冷気の流入するのが感じられ、平静なる自分に返らして頂く事が出来ますので「一寸我に帰らして頂きます」とかの冗談を言っては、仰向けに寝さしてもらったものでございます。起きますと又以前と同じく、水が耳孔を満杯の形にて、何とも気持の悪い事、申し上げようもございませんでした。

 やはりこれも以前の御浄化だろうと心配は微塵もございませんが、待てども待てどもその晴れやかなる、生気の春日は程遠く、約四十日頃と覚しき頃、月並祭の後、御先祖様へ御膳の御供えをさして頂きました。平素は母の受け売りの如くにさして頂きましたものを、その日に何か私がさして頂かなくては申訳のない様な気が致しまして、母の差出す御膳を自分に受取り、御仏前に供えさして頂き、母と妻と三人、御祈り申し上げました。畳に額づいてその日のお詫び、並びに御守護の御礼を申し上げて居りますと、耳孔の水は何処へやら消え失せた様な気が致します。御祈りが済みまして、恐る恐る、何卒この状態の長く続けかしと、お念じ申し上げつつ頭を持上げましたが、鼓膜の水は押し出しても来ませず、不思議だなあ、耳が良くなった、ああよくなったと連呼する声に、母も妻も吃驚し喜びの気色は満室に溢れました。

 これ迄幾度か御浄化に依り癒して頂いた事もございましたが、一日経ては又元の如くに返り、一喜一憂の日々を繰返して居りましたが、この日以来全く後を断ち、憂色に閉ざされていた長き日も昔日の感に忘れ去りました。

 母の咽喉風邪の激しき痛みの御浄化と言い、私の耳の御浄化と言い、共に御屏風観音様の御許しを頂いて、御先祖様にお膳のお供えをさして頂いて、母子共に楽にならせて頂きました事につきましては、御先祖様の霊に何かせかれたものがあったのでございましょう。

 母子の者に良く似たこの実情には、無言のうちに何をか覚らして下さる温情、気附かない長い問の苦しみも御先祖様の御意志の線に添わして頂きますと、かくも速かにこの痛みの苦しみも、楽々と癒して頂けたこの事実には本当に御先祖様は生きて居られる、只肉体を持たれて居られない丈で、何時も現世の我我を見守って居て下さるという事を良く覚らして頂きました。今後共に自覚を持ちまして精進さして頂きます。

 明主様、誠に有難うございました。謹みて御守護の御礼を伏して厚く申し述べさして頂きます。